1事案の概要
賃借人Xは、平成21年1月20日、宅建業者Y1の仲介で、賃貸人Y2から、本件居室を賃料1ヵ月8万4,000円、期間2年間として賃借した。
本件居室が存するマンションの隣地で、Aが長年にわたり小型犬パピヨン種の繁殖を行っており、Xは21年8月中旬頃から、新宿区役所の担当部署に対し、本件犬の鳴き声が大きいと通報するようになった。Xは、Y2にも本件犬の鳴き声の苦情を申し入れていたところ、Aは、自宅1階の犬のいる部屋の窓を二重窓とする等の防音工事をした。
その後、Xは、以下の主張を行った。
・Y2は、Xが居住するに適した環境を確保すべき義務がある。民法606条は、物理的な瑕疵に対する修繕のみならず周囲の騒音に対して適切な措置を講ずることも義務づけており、Y2がこれを怠ったときは債務不履行に基づく損害賠償請求として、賃料の相当額の減額を請求出来る。
(2)Y2に対する請求について
Xは、「Y2の修繕義務の債務不履行または瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求として、民法611条1項の類推適用により、賃料の減額を求める」旨を主張するが、Y2に債務不履行が存したとも、本件居室に瑕疵が存したとも認めることはできないから、上記主張は前提を欠き、採用することができない。また、上記のとおり本件居室が通常保有すべき性質を欠いているとか、社会通念上賃借人の使用収益に支障が生じているとか言うことはできず、したがって、民法570条に言う瑕疵があるとは認められないし、Y2に債務不履行が存するとも認められない。
(3)Y1に対する主張について
Y1は、犬の鳴き声が本件境界線上において条例の規制基準を超えることがあるなどとは認識していなかったものと推認され、それを認識すべきであったとも言えないから、Y1に調査・説明義務が存したとは到底言えない。
3 まとめ
騒音は、人により感じ方も異なることもあって、物件の瑕疵や仲介業者の調査説明義務にあたるか否かの明確な判断基準はない。しかし、本件のような商業地では、ある程度の騒音は受忍限度にあると言えよう。まして、今回は、隣人が相当程度騒音軽減に努力しており、賃貸人、仲介業者への請求は妥当性を欠くものと言える。
なお、XはAに慰謝料300万円と弁護士費用20万円等の支払を求めて提訴したが棄却された。
・Y1は、隣地でAが犬の繁殖をしていることは、Y2やマンション管理会社担当者から聞き出すことができたはずで、「隣人が犬の繁殖をしていて複数の犬の吠える声が聞こえることがある」という程度は、Y1において容易に調査が可能であったから、Y1のXに対する仲介業務には債務不履行がある。 これに対し、Y1、Y2は、Xの主張に応じなかったため、Xは裁判所に訴えた。
判決の要旨
裁判所は次のとおり、Xの訴えを棄却した。
(1)事実認定
本件犬の鳴き声による騒音は、犬が一斉に鳴いたときは、本件境界線上で都民の健康と安全を確保する環境に関する条例136条が定める午前8時から午後8時までの規制基準であるL5値(注:時間率騒音レベル)の60デシベルを超えるものであったと認められるものの、他方、一斉に鳴く時間は限られている上、本件境界線上と本件居室内とでは騒音の大きさは相当に異なると推認され、本件居室が存する場所の地域性(商業地域で他の生活騒音も大きい地域)、Aは長年にわたり犬の繁殖を行っていたものの、Xが本件居室に入居するまで騒音が問題とされることはほとんどなかったこと、AはY2を介したXからの苦情を受けて防音工事を行うなどの対処をし、騒音の測定値も相当に改善したこと等の諸事情に照らせば、本件騒音の発生は防音工事前の分も含めて、全体として受忍限度を超えるものとは認められず、Xの平穏な生活を営む権利を侵害したと認めることはできない。